会社情報

ごあいさつ

私たちは労力を惜しまず、創意と工夫で
新しいことに挑戦します。代表取締役 水島 徹朗


 当社はインターネットの普及とともに関連事業を手がけてまいりました。中でも主流となったのはインターネット販売です。「暮らしに、社会に、役立つ」商品をモットーに「防災専門店MT-NET(独自ドメイン店)」「素敵カタログYahoo!店」「素敵カタログ本店」「Pro8(業務用理美容サロン機器)」などを展開してきました。おかげさまで業績は順調に伸びています。
現在は、阪神・淡路大震災の被災経験をもとに開発した「防災・減災用品」に力を注いでいます。

 

 日本列島は地震や台風、集中豪雨などの自然災害により、昔から定期的に大きな被害が発生しています。また、南海トラフ大地震、首都直下地震、富士山の大噴火など、今の日本列島はいつ、どこで、大震災や大災害が起こっても決しておかしくありません。
いつ起こるか分かりませんが、ただ言えることは必ず起こるということです。

 

  当社の開発した、災害時のための「オリジナル非常用持ち出しセット」は40000セット以上の販売を達成しました。その他にも、特許出願中の「MT Resccue Kit」非常用工具セットや「救急セットシリーズ」「非常用携帯セット」などヒット商品が多数ございます。
これも皆様のおかげと感謝しています。


  防災・減災は、自己責任です。 決して他人やお役所をあてにしてはいけません。個人・ファミリーはもちろん、企業や団体などは社員や職員の生命を守る義務があります。 また大企業、団体であれば地域住民と協力し救助や支援の対策をする責任もあります。
多分、「自分は大丈夫だろう」と思いたい気持ちは分かりますが、学術的にもこれを「正常化の偏見」と言い重大な過失になってしまいます。 【自分自身は自分で守る、会社は社員全員で守る】これが本当に大切なことです。

 

(注)「正常化の偏見」とは、
異常な事態に直面していながら、「大したことにはならないに違いない」「自分は大丈夫だろう」と思い込み、危険や脅威を軽視してしまうこと。災害発生時に、避難や初動対応などの遅れの原因となる場合がある。

阪神・淡路大震災の被災経験から・・・

●当社女性社員の被災体験
震災当時、私は神戸市西区の11階建てマンションに住んでいました。
不幸中の幸いで、マンション内で亡くなった方もなく、建物の崩壊も免れました。
後日、「半壊」の認定を受けましたが、1年10ヶ月後に大規模修繕を終え住み続けることができました。
隣のマンションでは、バルコニーが落下したり、一戸建ては屋根が壊れたところも多く、しばらくの間はブルーシートで覆われていました。
家族が亡くなったり、自宅に住めなくなった方に比べれば被害のうちに入らないかもしれませんが、被災者のひとりとして、私の経験が少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。

●1995年1月17日午前5時46分
経験したことのない大きな揺れで目を覚まします。
最初は何が起きているのか、理解できませんでした。
地震だと分かり、立ち上がろうとするのですが物凄い揺れで立てません。
廊下をはって子供部屋へ行き、叩き起こすのですが、子供はなかなか起きてくれません。
やっとのことで玄関に行くと下駄箱が倒れ、靴が散乱し、ドア枠が歪んでいます。
何度も体当たりしやっとドアが開き、外に出ることができました。
マンションの駐車場は避難してきた人であふれ、余震があるたび、あちこちから悲鳴が聞こえます。
夜が明けてきたので、部屋へ戻りました。
タンスが倒れ、物が散乱している光景を見て愕然としました。この時点でライフラインも止まっていました。
電話が繋がらないので、実家へ安否確認に行き、帰りにガソリンを入れました。隣のコンビニで水や食料を買おうとしましが、外国製の水300mlが1本買えただけで、パンもおにぎりも売り切れでした。

●校庭に避難
9時頃に学校の体育館へ避難しましたが、既に満員でした。
余震の不安もあり、校庭に車を停め3日ほど車内で寝泊りしました。 車内は寒くても暖房を付けっ放しという訳にはいきません。ラジオで情報を得る時にエンジンをかけるぐらいで、普段から使用していた寝袋で暖をとりました。
翌日にアンパンが届けられたと記憶していますが、真冬だったこともあり、冷たいアンパンばかり食べられませんでした。
私達は、たまたまキャンプ用のコンロを持っていましたので、自宅にカップ麺とやかんを取りに帰り、一度だけ温かい食事を取ることができました。

●トイレ事情
今でも鮮明に記憶に残っているのがトイレです。
避難所という不特定多数の人が利用する場所で断水になると悲惨です。
直ぐに、便器の中は汚物で満杯になります。
水洗トイレで他人の汚物の上で用を足すのは、とても勇気がいりました。
清潔な水洗トイレを使いなれている私達には苦痛以外の何物でもありません。
学校の近所に住んでいた私達は、毎回、自宅トイレへ戻っていました。
断水していましたが、前夜の風呂水が残っていたお蔭で、汚物を流すことができました。
水を節約するため、ペーパーは流さず、毎回ごとに流しませんでした。
後に避難所もプールの水を汲み置き、各自が流すようになったようです。

●実家へ避難
車内で3日間過ごしましたが、心身ともに疲れました。
やはり実家へ避難することにしました。
直ぐに避難しなかったのは、自宅がどうなるのか?大きな余震がきたら崩壊するのか?と心配だったからです。
近くの実家は停電もなく、ちょろちょろですが水も出ていたし、プロパンガスでしたので風呂にも入れました。
ただ、親戚や知人など大勢の人が避難してきたので、ちょろちょろ水では足りません。
給水車に水をもらいに行きましたが、水は重く、一度に持てる重さにも限界があります。
もし、家を購入することがあったら、井戸を作り、プロパンガスにして、汲み取りトイレにすべきだとその時は本気で思いました。

●自宅へ帰る
JRが1週間後に須磨まで再開されたので夫は仕事に行きはじめました。須磨から勤務地の三宮までは歩いて通い、しばらくしてからは代替バスで通いました。
子供の学校も再開されることになり、地震から2週間後に自宅へ戻りました。
電気は1週間で、水道は2週間ほどで回復しましたが、ガスは回復していないので、カセットコンロかホットプレートで調理をしていました。(電子レンジは落ちて壊れていました)
結果的にガスが回復したのは、1ヶ月以上たってからでした。入浴は、実家へ行ったり、銭湯の長蛇の列に並んだり大変でした。
ガスが回復して自宅で入浴できた時は本当に嬉しかったです。
地震から1年10ヶ月後に大規模修繕も終わりました。
当たり前だった生活ができないということはどんなに辛いか経験した人にしか分かりません。

大地震を経験したからこそ言えること
経験から、個人的に本当に必要なものを列記します。参考にしていただけたらと思います。

◆水 1人1日2~3L 可能なら1週間分
◆非常食 調理しなくても食べられる食品を1人7日分(21食)
 (水を入れるだけで食べられる5年保存のマジックライス、
 温めなくても缶切りがなくても食べられる、5年保存レトルトのお粥やおかず、
 5年保存の缶入りパンやようかん等)賞味期限を考慮しながら、カップ麺など。
◆カセットコンロ、カセットボンベ、ホットプレート
◆給水車に水をもらいに行くための給水袋かタンク(女性は10Lまでが適当)
◆ラジオ・ライト ランタン(20年前はラジオからしか情報が得られなかった)
◆携帯電話充電器(ソーラー充電・ダイナモ充電できるもの)
◆トイレ用品(凝固剤で固めるもの)
 (学校ならプールの水で流せますが、それ以外の施設や会社ではどうでしょう?
 トイレ用の水を確保できないなら、凝固剤で固め、各自で清潔に使える緊急時用 のトイレ用品を備蓄すべきです)
◆防寒用品(レスキューシートや圧縮毛布など、かさ張らず、暖かいもの)
◆一戸建ての方は屋根破損時のためのブルーシート(震災後、法外な値段で売りつける業者や屋根のリフォーム詐欺などが横行しましたので注意してください)
◆寝室や玄関に非常用持出セット(貴重品袋)
◆消火器(あくまでも避難が優先です!)

地震が来たら、逃げ道を確保する(玄関ドアを開ける、ベランダなどの窓を開ける)ことや風呂に水を貯めること(トイレ用)は被災後数年はやっていました。
私達は今こうして元気でいるので、このような経験をお話しできますが、6400人以上の方が亡くなっています。
その方たちに比べたら、運がよかったと思います。
生き残っても「家族と離ればなれ」「寒い」「のどが渇く」「お腹が空く」「トイレがない」「寝るところがない」「歯を磨けない」「お風呂に入れない」「電話がつながらない」など大変なことがあります。
地震は、いつ、どこで遭遇するのか分かりません。
その時を後悔しないため、物の備えも必要ですが心の備えもしておきましょう。と再度、自分に言い聞かせます。

株式会社 MT-NET